スタッフの紹介

錦自然農園のスタッフを紹介します。

園主 内布知典

子供のときから屋根の下より山の中にいる時間が長かった自然児。
高卒後はオートバイで旅し、夜になると寝袋で地面に転がるホームレスライフを得意とする。
アメリカや日本の山でテント泊した経験は数知れず。長年つちかってきた自然とのコミュニケーション能力とめげない性格をフル稼働して、果樹に向き合う。

<略歴>
昭和38年 福岡県行橋市生まれ。
高校卒業後、東京の大学を経て、脱税を捜査する仕事につくが性に合わず3年で退職。「あのとき辞めなければあと●年で年金生活だったのに」とたまにぼやく。

37歳のとき、前年球磨郡錦町にUターンした父・藤吉から「果樹園をやってくれ」と頼まれる。
錦町に何年も土地を探していた両親が、やっとみつけたのが「果樹園といっしょじゃないと売れない」という土地だった。

翌年、横浜で従事していた不動産業をやめIターン。錦自然農園を開く。
当初は梨が中心の果樹園だった。
梨は大量の農薬を必要とすると知り、梨の木を全部伐採。桃、柿、ぶどうの苗を植える。
翌年独力で家を作り始める。テーマは「いつまでも完成しない家」。
英語通訳案内士のライセンスを二年前に取得したが、使ったことはない。好きなことは、ドライブと昔のロック。クイーン好き。

養鶏担当 内布藤吉(園主の父)

球磨郡の山奥深く、球磨村の農家に生まれた生粋の球磨人。
その人生のはじまりから鶏がかたわらにいなかったことがなく、養鶏業以外の職業についたこともない。
「もっと良い養鶏法」を求めて文献をあさり、達人の噂を聞くとどこへでも訪ねて行く半生を送る。
そして得た結論が現在の方法。つまり「愛情をかけて育てる」。特技はかなり流暢な鶏語。

<略歴>
昭和5年 熊本県球磨郡球磨村うまれ。
幼少のときから家で飼っていた鶏の世話を担当。
小規模な養鶏にあきたらず、本格的な養鶏場を始めたのは25歳のとき。創業のための資金は、自分で山に炭焼き小屋を建てて炭を焼き、売ってお金を作った。当時球磨は林業で栄えており、炭の生産者も多かった。

32歳で家族とともに福岡県筑紫野市に移住し養鶏業を拡大。
のちに同県行橋市に移り、さらに規模を拡大していく。
70歳のとき熊本県球磨郡錦町にUターン。
原点に戻り、鶏の数を200〜300羽に抑え、一羽一羽鶏の顔を見ながら必要な世話をするスタイルに。
趣味は読書。池波正太郎が大好き。ミニバンを読書室とし、毎日通う温泉の帰りに図書館へ行くのが愉しみ。町立図書館の貸出冊数年間1位になることも。

農作物栽培と加工品の知恵袋担当 内布菅子(園主の母)

人吉市生まれ。結婚後まもなく夫とともに福岡に移り、以後、養鶏の手伝いと家庭菜園とバラ作りに精魂傾ける。

家族の健康管理に自然療法を用いることには、半世紀以上の歴史をもつ。
びわの葉エキスやびわの葉灸、梅エキスなどなど次々と自分でつくり、子供や家族に処方した。

福岡県行橋市から、小中学生の子供二人を含み家族全員が10年間医者にかからなかったことを表彰されたこともある。
びわの葉にかんする知識と経験は深く、農薬を使わないでおいしい野菜を作る手腕は完成されており、ゆず麹やまんじゅう、野草料理つくりはプロの域。

営業・販売・インターネット・加工品製作担当 内布恵美子

幼稚園から始まる本と雑誌好きがこうじて編集者・ライターとして東京で20年以上働く。
2009年錦自然農園の太秋柿をインターネットで注文。その美味しさに驚いた勢いで2ヶ月後、園主と結婚。2010年3月、熊本県民になる。

楽しんでいるのは、農作物の加工品づくり。
販売しているフルーツジャムのほか、フルーツ酵素エキス、びわの葉エキス、各種フルーツ酢、干しぶどう、ゆず麹、柿の葉茶、ハーブティなどなど手当り次第作っている。冬の愉しみは「どぶろく」づくり。

<追記 錦自然農園に来て驚いたことベスト10>

1、青果市場に出すフルーツ、卵が信じられないくらい安い(今は出してないですが)
2、農業している人の年齢があまりに高く50代も「若手」
3、農家のオヤジさんはかっこいい人が多い
4、日本の農業に使われている化学農薬の強さと多さ
5、球磨の冬の寒さ(氷点下が春先まで続く)
6、流通しているほとんどのフルーツが熟す前に収穫され未熟のまま消費される
7、自分の自動車運転のセンスがなさすぎる
8、お金を使わなくても暮らしていける
9、野菜や米、果物、卵の味わいが生産者によってまったく違う
10 、うちのオトーサンが鶏としゃべってる!